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くままの部屋 in Hawaii

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成長の過程

さて、年に一度のIEPミーティングがあった。

IEP=Individualized Education Program

海流のように障害や遅れのある子供達それぞれに合わせた教育課程プログラムのことで、毎年ゴールを設定、そのゴールの達成をみて、また翌年のゴールを設定する。

毎年思う、この時、親として微妙な気持ちになるのだ。

なぜかというと。
このゴールの達成度が高い、イコール海流は順調に成長している!
のだが、その結果セラピーの回数や時間が減らされたり、学校のお休みに実施する特別補講クラスが減ったりするのだ。

これって、なんだか納得できない。
だって、そう、確かに成長してるからいいようなものだが、それはこうしてセラピーをしているから、の結果である。
そして海流のようなダウン症の場合、遅れが軽減するというよりは、できることはもちろん少しずつできるようになっていくけど年齢があがれば差も顕著になることの方が多い。
例えば一時的に怪我をした人がセラピーをして、だいぶよくなってきたのでじゃあ週に1度に減らしましょう、最終的にはもうこなくていいですよ。になるのとは違う。
海流の発達遅延は、今後も一生続くもので、それをいかに縮めていくか、がセラピーの目的なのではないだろうか。
これとこれを達成しました、じゃあスピーチの回数を減らしましょう、というのは、どうなんだ?
そうではなくて、じゃあ次はこれを目標にしましょう、と先へすすむのが筋だろう、別に回数を減らす必要は全くない。

セラピーをそのままの回数や時間で続けていたら、海流が他の子供達を追い抜くということは、ないのだ。

教育機関の経済的な問題というのはわかる。

が、一部では親が教育委員会に乗り込むからという理由で、海流よりどうみても軽度の子供が最大限の補助教育を受けている事実。

どうして『こんなによくなったから、じゃあもっとがんばりましょう』ではないのだろう。

例えばミーティングでセラピーの軽減で理由になったこと。
夏休みに日本にいったり他のバケーションで海流はスペシャルクラスのカリキュラムから20日ほど離れていた。
その結果、ある一部の科目ではもちろん遅れをみせたが、回復は比較的早かったという。
なのでカリキュラムから離れる期間を10日から18日に延長しましょう、という。
学校外でも親達は子供達のために独自の方法で彼らの助けになることを試みる。
本を読む、数を数える、階段の昇降を練習する。
そしてその結果、学校を離れていてもそんなに遅れを見せなくなる、としたら?
あ、じゃあもう必要ないですね、減らしましょう、となるのだ。

そうじゃなくて、ああこんなにできるようになったんだね、がんばったんだね、じゃあ次はこれをやってみよう!とは、なぜ言ってくれないのだ。

変な話しだけれど、だったら学校から離れている間何もせず、練習もさせず、遅れをみせたほうがいいのではないか、などと思わざるを得ない。
そうしないと来年はまた減らされてしまうのだから。

時にレポートの結果は実状より高い、と思う事もある。
XXはできるようになった、という結果の項目、私が家で教えると全く理解していないのが明らか…多分学校では繰り返し同じ事をやり、正しい答えを導きだすという方法をとっているからだろう。
なので家で似たような問題を投げかけると、ちょっとした違いでも正しい答えが次は出てこない。
基本的に理解しているのではなくて、繰り返しに反応しているだけなのではないだろうか。

レポートの結果が実状より低くても親は頭にくるだろうが、高くても微妙である。
自分勝手とわかってはいるけど、海流が受けられるものは最大限受けさせたいし、権利があると思う。
改善したからこれはなし、ではなくて、改善したから、じゃあもっと改善させよう、というのが本来あるべき。

海流のためだから、ちゃんと主張できる日本人になります。
(って、もともと主張してるじゃん!って言われそうだけど 笑)
by mizuhonn2 | 2013-09-26 14:34 | 海流
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